変形性股関節症とは
こんにちは、にしやんです。
『手術を考えているけど、いろいろと大変そうで踏み切れない』とお考えの変形性股関節症でお悩みの方に必読です!
今回の記事では、私に発症から術前後そして現在の生活を解説します。
私は、幼少期から股関節痛に悩まされ4年前に「人工股関節置換術」の手術を受け痛みから解放されました。
この記事はこんな方におすすめ!
1 お金(医療費や生活費)が心配
2 仕事を休む(有休と傷病手当金を利用する方法
3 入院中の過ごし方
4 退院後の過ごし方
5 人工股関節が安定してからの生活
【発症年齢】
2歳でした。
「足の長さが違う」「歩き方がおかしい」と母親が気付き病院受診し、股関節脱臼の手術をしました。 股関節脱臼は、女の子によく聞かれる病気ですね。
当時、我が家は貧乏でお金が無く手術費用が工面できなかったと母から聞きました。
その後、病院の先生方と相談し、大学病院の臨床実習?臨床実験?と言うやつで手術したそうなんですが、当時2歳なので何も覚えてなく、母も、うろ覚え状態です💦
手術後、まだ2歳の私が泣くのでおぶってなだめたそうですが、その際両足の間に固定の棒がしてあったそうで母の背中に当たり、痛かったと話していました。
その後、生活に支障はなかったのですが、悪い方の足が内に入るような歩き方になり多少馬鹿にされた事もありました。
小学生の時かけっこは、遅くいつもドン2でした💦
中学生~高校
中学になり、バレーをしたくて部活に入り(母には止められましたけどね)人並みに、動けていたと思いますが、やっぱ、ハードなスポーツなので股関節に痛みが出るようになり、整形外科受診し”変形性股関節症”と診断されドクターストップ。 泣く泣く退部しました。
高校は、友達に誘ってもらい吹奏楽部でクラリネットを演奏していました。当時の顧問を好きになった事は思い出です。
しかし、在学中も時々股関節に痛みがあり、マラソン大会を休ませてくれと体育の先生に相談したところ、さんざん嫌味なことを言われました。その後、体育教師からいじめを受けましたね。ほんと、最悪な教師たちでした。
高校卒業~成人まで
販売の仕事10年、医療事務6年(パートも含む)経て結婚、出産で20キロ太りました。(これが、だめでした(´;ω;`)
その体重のまま、未経験で介護の仕事をはじめました。
週一で夜勤、排泄、入浴、食事介助の全般をこなし、当時、利用者様の移乗の際には、”抱える移乗方法”が支流だったため、股関節への負担はすごく年々痛みは増し、痛みで寝れない、寝返りする度に目が覚める、しゃがめない、車の乗り降り、運転など生活もできないほどでした。
痛くて痛くて毎日が苦痛、泣いて暮らしてました。
そして、手術を決意させてくれる友達に偶然買い物先で会ったんです。
友達の旦那様が、私と同じ股関節で跛行(びっこを引く)されていました。
この旦那様が”2年前に、人工股関節の手術をして痛みから解放され、今はとても元気に仕事している”と言うのです。
その話を聞いた、私は一筋の光が見えたのです。
「何処の病院で手術したの?」
「費用は?」
「仕事は?」
一通り聞き終わる頃には、もう心は決まっていました。
「手術する!!!!!」
「この痛みから解放される!!!!」
それからは、今からお話しする事を調べつくしました。
お金の事(手術費用、生活費、傷病手当金、年休取得)
【手術費用】
日本には、高額医療費制度と言うのがあります。
”高額医療費とは、健康保険法に基づき、日本において保険医療機関の窓口で支払う医療費を一定額以下にとどめる、公的医療保険制度のひとつであると定められています”
前職で、医療事務をしておりこの制度があることを知っていたので、早速検索し手続きをしました。当時、2019年7月はまだマイナンバーと健康保険証が一緒じゃなかったので、全国健康保険協会のホームページで、手続き用紙をダウンロードし印刷、必要事項を記入し送付すると受給者証みたいなカードが送って来るので、それを病院の窓口に出すと言う申請方法でした。
しかし、2024年時は立ち”マイナンバーカード”があればわざわざ申請書を送付する手間は無くなりました。
マイナンバーと保険証の連携を忘れずに・・・・。
【高額医療費制度に含まれないもの】
・食事療養費
・文書料金
・差額室料
・厳選された治療法
・評価医療
他先進医療など高額医療費制度に含まれないものがあります。こちらのサイトで詳しく説明されています。
【生活費】
結果から言いますと
傷病手当金と有給休暇と公休を使用しました。
傷病手当金
”被保険者が病気やケガのために会社を休み、事業主から十分な報酬が受けられない場合に支給されます”※傷病手当金受けられる条件がありますので、ご確認ください。
傷病手当金、有給休暇、公休で手術と療養も含め2か月仕事を休ませてもらいました。
後は、少しの貯蓄です。
入院中の過ごし方
入院時準備した物
- 下着(上下5枚)
- リハビリの時動きやすい服(上下3枚)
- タオル(大3枚、小5枚)
- 歯磨きセット
- シャンプー、コンディショナー、ボディソープ、洗顔フォーム
- テッシュペーパー、ごみ袋
- イヤホン(テレビ、スマホ用)
- スリッパとリハビリ用靴
※病院指定の物もあるので、入院前に確認してください。
【手術】
初診で、レントゲンを見た先生が
「かなり痛みがひどいでしょう、よく我慢してますね。いつ頃手術を予定されていますか?早い方がいいですね」
と言われた時は涙が出ました。
「やっと、痛みから解放される」
その後、手術時に使用する自己血採取と検査で3回ほど通院しました。
手術は、3時間超えました。私が、太っているのと軟骨は無く骨のすり減り具合がひどかったようです。
術後目覚めると、点滴、尿道カテーテルといろんな機材あり戸惑いましたが無事終ってほっとしました。
ずっと仰向けに寝ているとさすがにきつくなってきます。そこで、術後の寝返りの仕方を看護師さんから習いましたが最初は怖すぎてできませんでした。
【リハビリテーション】
次の日からリハビリが始まりました。
午前は、PT(理学療法士)
カテーテルは繋がったまま車いすへ移乗。移乗が上手くいかずへこむ。
やっと、移乗したら車いすを動かすことができない!!!!実際、自分で車いすを動かすのって大変でした。(利用者様の気持ちが理解できました)
話し合いの結果「歩行器」を使用する事になりました。
2日目の夕方に尿道カテーテルが外れ、歩行器でトイレへ行くたびナースコールを押し看護師さんが、介助してくれるのですがなぜかとても、気を使いくたびれたのを思い出します。(介助される側は初めてだったので緊張してました💦)慣れてくると一人で行けるようになります。
3日目から自分の息子と歳が変わらないPTとリハビリを本格的に始めました。
まず、普通に歩く事から・・・・。鏡を見ながら始めました。
そして、衝撃を受けました。
もう何十年も、引きずって歩いていた右足はまっすぐ立っても膝から下が外側に曲がっていました。
手術しリハビリすれば何もかも上手くいくと信じていた私がおろそかでした。思ってもいないところでメンタルがやられていきました。
リハビリをしても、普通に足を上げて歩く事が出来ない。ほんとに、歩き方がわからないのです。
どんどんメンタルはやられていきましたね・・・。どうしても、前向きな考えができないのです。
午後から、OT(作業療法士)
畳に座った状態からの立ち上がり方など生活での動作のリハビリでした。女性のOTだったのでリハビリ中いろんな相談ができました。
【入浴】
3日目から入浴できるようになり、最初は洗い方をOTに教えてもらいました。もちろん慣れると一人で入れるようになります。
それからは、毎日入浴できるようになったのですが、また問題が起きました。
「洗っても、髪の毛がガチガチのベトベト」して治らないのです。いろいろ調べたら
ストレスが過度にかかり過ぎて起こる現象でした。その症状は、2か月も続きました。
【病室】
4人部屋で、術後直ぐは小窓しかない外が見えない場所でした。4日目、窓際の方が退院されたので移動をお願いしました。外を眺めて気分転換しないと、叫びそうになるほどのメンタルでした。ネガティブ全開!!!の私でした。
【退院】
3週間経ったころから、
私の頭の中は”早く退院したい”でいっぱいでした。
婦長さんに相談し、主治医と話し1週間早く退院させてもらいました。
退院後の過ごし方
【寝る時】
ベッドを使用しました。布団は立ち上がりに負担がかかりすぎるためです。
【運転】
術後1ヶ月は運転しませんでした。久しぶりに運転した時は緊張しました。
【入浴】
購入した物
- シャワーチェアー
- 柄の長いブラシ
- 手摺り
術後にしてはいけない姿勢があり、お風呂では低い椅子に座らない。しゃがむなど股関節は大きく曲がる動作はしてはいけないとあります。
シャワーチェアーに座り、足先などは柄の長いブラシを使用し、手摺りを握り立って入りますた。浴槽へは、家の浴槽が狭いため入りませんでした。
人工股関節が安定してからの生活
【仕事】
2019年7月3日に入院
2019年7月4日手術
2019年7月末 退院
2019年8月 自宅療養
2019年9月 職場復帰
手術から自宅療養も含め2か月で、職場復帰しました。復帰後、2か月は夜勤をせず日勤のみで働きました。11月から、夜勤もはじめました。
通院も最初3か月は、毎月1回、6か月経過で6か月に1回。1年経過で1年に1回です。
人工股関節が自分体の股関節周囲の肉が巻き付き安定したのは、1年後でした。
まとめ
手術してよかった
これが、率直な思いです。
手術してできない姿勢などもありますが、あの痛みに比べれば我慢できます。
そして、現在も勤務している施設の上司や同僚に助けていただきとても感謝しています。
まだ、55歳!いろんなことに挑戦していこうと思っています。そして同世代の皆様
これからも、ganbarantoいかんですね。
長文読んでいただきありがとうございました。
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